大久野島毒ガス資料館

おおくのしまどくがすきねんかん

  • 博物館

戦時中、大久野島には毒ガスの製造工場がありました

日本軍が毒ガスを使用していたということは、昭和59年(1984)まで日本ではほとんど知られていません。昭和59年(1984年)に日本の化学戦実施に関する資料が報道されて以来、日本の毒ガス兵器の研究開発は旧陸軍科学研究所(東京)、大量製造したのは大久野島(広島県竹原市忠海)、充填は曽根(北九州市)、化学戦の運用、訓練には旧陸軍習志野学校、と言った日本の化学兵器の構図(陸軍習志野学校史)が明らかにされています。 毒ガス製造の悲惨さを訴え、恒久平和を希求します。この資料館は、広島県、関係市町並びに障害者団体のご理解と、ご協力により建設されたものです。

大久野島毒ガス資料館
2009-6 大久野島毒ガス資料館

大久野島毒ガス資料館の地図・アクセス

場所
広島県竹原市忠海町大久野島

詳しい情報はホームページにてご確認ください。

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大久野島毒ガス資料館のクチコミ

総合評価:5点★★★★★(1件)

クチコミ

「法学部生」さんからの投稿

評価
投稿日
2019-05-11

ウサギの島 のどかな島だけど こういう平和のための資料館も忘れず訪問して欲しい ウサギの島も平和あってのもの

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最終更新日時:2019-05-13 09:03:43
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